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2002年06月20日

気付けば....

今年も、半分が終わろうとしているんだなぁ〜。。。げげ。
上半期を振り返ってみると、結構いろんな事をやったなぁ〜って気がするにはするんだけど、でもなんか、そうはいっても平坦だったような気もするなぁ。・・・いや、そんな事ない!カナリ、すごい半年だったよ!やっぱり。これ以上を望んだら、人生ジェットコースタードラマになってしまう(〜_〜;。

私、本当に飽きっぽいんだよなぁ。飽きっぽいというか、物凄く熱中しても、ある程度までいって自分的に納得いってしまうと、「もういいや」って思ってしまう。その繰り返し。

中学生の頃バレー部に所属していた時もそうだった。
同級生のチームメイトに、後に某有名高校(スポーツが全般的に強く、サッカー・駅伝・バレー・野球などで全国大会常連として知られている学校)に推薦で入り、春高バレーでも活躍したというエースがいたので、あの時代の我が校女子バレー部は強かった。(まぁ強いとは言っても、県大会ベスト8とかそんなモンだ。)

そんな私達は、一年生大会に出場した時、県大会2回戦でS中学という伝統ある強豪校と対戦して負けてしまったのだが、それ以来、S中学に勝つ事を目標に、正月三が日以外は休まず、厳しい練習を続けてきた。

時は過ぎて、2年生になり、新人戦。
「S中学に勝ったら焼肉おごってやる!」との顧問の言葉に奮起した私達(ってそんな理由かよ!)は、見事ベスト8でS中学を倒し、さらに準決勝では、雲の上の存在的だった強豪校を15-5(×2セット)とかの大差で破り、決勝にコマを進めた。決勝では逆に大差で負けた(〜_〜;が、県ローカルの新聞やテレビでは結構紹介されたりもした。(私のポジションはライトだったんだけど、レシーブ陣として紹介された...レシーバーの子は他にちゃんと居たので、すごく心苦しかった。この後、全然知らない他の中学のバレー部の子から"レシーブ凄かったですね!"とかちょくちょく声をかけられ、ビビる日々が続いた。)

私がバレー部を辞めたのは、その2か月後である。

チームメイトの誰にも相談しなかったし、もちろん顧問にも相談しなかったので、後で結構皆に責められた。そりゃあそうだ。3年の春の大会はすぐそこまできていた時期だったし。若気の至りでした。ごめんね。(ってココで謝ってもしょうがない。)せめて、いつもパス練習でペアを組んでいた子にだけは、伝えておくべきだったと思う。ごめん。(だから。。。)
でも、私の中では、新人戦でS中学に勝ち、さらに準決勝も勝ち、決勝では負けたが銀メダルを貰ったという時点で「終わってしまった」のだ。それは私だけではなくて、チーム全体のムードもなんとなくそんな感じで、その後の練習にもなんとなく覇気がなかった。そんな部活がツマンなくなっちゃったのだ。

ちょうどその頃、塾が忙しくなってきていて、「3年だし、そろそろ勉強もしないとな〜」と軽く思っていた部分もあったが、それはたぶん大したウエイトではない。(だって、結局その塾も数カ月後にやめちゃったもん(笑))
とにかく、バレー部に興味がなくなってしまった、それだけだった。
そして、そんな私の唐突な行動に、バレー部の関係者だけではなく、クラスメートやクラス担任、学年主任なども相当驚いていたのを憶えている。「なんで?」と訊かれても、「飽きたから...」とは言えず、一応「勉強しようと思って」みたいな事を適当に答えていた。

ちなみに、その後のバレー部はと言えば、春の大会=県大会初戦敗退。最後の夏の大会に至っては、県大会出場を逃してしまったとの事だった。(別に、自分が抜けたから、とかいうんでは決してない。私の代わりなんて何人も居たのだ。だからこそ辞めたというのもあるし。)
やめる前の私は、なんとなく、そんな予感がしていたのかも知れない。そういう渦中に自分が居たくない、と、思ったのかも知れないなぁ。本当にズルイ奴でしたm(_ _)m。

投稿者 you-me : 2002年06月20日 21:40

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